大判例

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福岡高等裁判所 昭和31年(う)1413号 判決

控訴人 検察官

被告人 水谷ヒズ子 外一名

検察官 安田道直

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡地方裁判所小倉支部に差し戻す。

理由

検察官安田道直の控訴趣意は記録に編綴されている検察官折田信長提出の控訴趣意書記載のとおりである。之に対する当裁判所の判断

原審が公訴事実の外形的事実を認めながら詐欺罪は財産上の損害の発生を要件とするものであるから被害者において返還請求権を有しない本件においては法的に何等の損害は存しないので犯罪を構成しないとして無罪を宣したことは論旨摘録の通りである。

惟ふに売淫行為を職業的にすることを内容とする契約が公序良俗に反し違法であり法律上無効な契約であつて売淫行為を条件とする前借金の交付は不法原因に基く給付であるから返還請求権のないことは判示説明の通りであるけれども苟くも真実職業的に売淫行為をする意思なく且つ前借金を返済する意思がないのに拘らず之ある如く装い相手方を欺罔して前借金名義で金員の交付を受けたものである以上たといその交付が不法原因に基くものであるの故を以て相手方より犯人に対しその返還請求をすることができない場合であつてもそれは相手方に対する私法上の制裁であつて刑罰権の対象たる詐欺罪の成立を妨ぐるものではない。けだしかかる犯人を処罰する必要がある所以は詐欺罪は単に財産権の保障を法益とするだけでなくかかる不法手段に出でたる行為は社会の法的秩序を紊乱するものである故であり、社会秩序をみだす危険のある点においては不法原因乃至非債弁済に基く給付たると然らざる給付たるとによりその結論を異にしないからである。畢竟正当な法律上の原因がないのに欺罔手段により相手方を錯誤に陥れて不法に金員を騙取するにおいては詐欺罪は直に成立するものであつて、その結果被害者に対し財産上の損害を与うると否とは犯罪の成否に何等影響がないものと云わねばなぢぬ。人を欺罔して財物を交付させた場合その財物の交付を受くるにつき正当な権利を有した場合に詐欺罪が成立しないのは相手方に損害がないから罪にならないのではなく、それは本来法律上の原因があつて交付されたものであり当然交付を受くべき正当な権利を有するがために外ならないからであつて、かかる権利を有する者が真に相手方に義務の履行を求むるに当り欺罔手段を用いたからとて之に対し刑罰の制裁を以てのぞまねばならぬ程社会の秩序をみだすおそれがないものと認め得らるるからである。然るに原審は詐欺罪に関する法の解釈を誤まり延いて判示列挙の証拠を綜合すれば優に有罪の認定を為し得べき公訴事実に対し犯罪の証明なきものとして無罪を宣した違法あるものと云うべく論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条に則り原判決を破棄し同法第四百条本文に従い本件を原裁判所に差し戻すこととし主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 柳田躬則 裁判官 青木亮忠 裁判官 尾崎力男)

検察官の控訴趣意

原判決は法令の解釈適用を誤りその誤りが判決に影響を及ぼすこと明かである。

即ち原判決は公訴事実に対し外形事実を認めながら無罪の言渡しをしたがその理由として、「被告人品川敏枝と相手方梅本直広間の契約は被告人品川が梅本の為に売淫行為を職業的にすることを条件として所謂前借金の授受を約したもので金十三万円はその履行として授受されたものである。右契約中売淫行為を職業的にすることを内容とする部分とそれを条件として前借金を支払うといふ部分とは不可分の関係にあつて斯る契約は公序良俗に反し違法なもので法律上無効である。従つて前借金の支払は所謂不法原因の給付であり且右契約の違法無効であることは既に公知の事であつて出捐者梅本が此の事を知らなかつたと見るべき事情がないから右給付は不法原因の給付であると同時に非債弁済でもあることは疑を容れない。詐欺罪に於ては犯人の側に欺罔があり相手方の側がその欺罔に基く錯誤により犯人の側に財産を交付したとしても相手方の側に財産上の損害を生じないならば詐欺罪の成立を認め得られないものと解すべく従つて本件の場合相手方梅本の損害は民法の規定上返還請求権なく且同人自ら招いたものであるから同人が自ら負担すべくこれを欺罔者であるとは云え被告人等の負担に帰せしめることはできないので法律上の見地から梅本には何等損害がなかつたことに帰するので詐欺罪の成立は認めることが出来ない」と説示して居る。然しながら、

第一、刑法第二百四十六条第一項の詐欺罪に於てはその成立要件として所謂構成要件の外に財産上の損害の発生は必要でないものと考える。1、本件公訴事実が詐欺罪の所謂構成要件を充足して居ることは原判決も認めて居るところであるが進んで原判決説示の如く詐欺罪の成立に更に財産上の損害の発生が必要要件であるか否か考察するに之は詐欺罪の本質に遡るものであつて原料決はこの点につき「相手方の側に財産上の損害が生じないならば詐欺罪の成立を認め得ないものであることは詐欺罪が財産権の保護を法益とする所謂財産奪取罪の一であると云うことから当然のことであつてこの結論は刑法が詐欺罪の成立要件として相手方の側に損害の生ずることを要する旨特に規定すると(例えば独逸刑法二六三条)否とに拘らないことである」旨解しているが、我刑法に於ては財産奪取罪は財物に対する所持を侵害することをその本質とし財物の所持そのものが法益として保護せられ財物の所持を侵害すれば直ちに奪取罪が成立し右侵害の結果として更に財産上の侵害が発生するか否かを問わないところである。従つて原判決の如く詐欺罪が財産権の保護を法益とする所謂財産奪取罪の一であると謂うことから当然財産上の損害の発生をも必要であると直ちに結論することはできない。更に原判決は「損害の発生が必要である旨特に規定すると否とに拘らない」としているが犯罪の構成要件は法規の明記するところに依拠すべく法規の規定を離れて解釈し犯罪の成立要件を増減することは到底許されないところであるから原判決の如く直に論断し得ないものと思料する。従来我判例はこの点に付き詐欺罪の成立要件として第二項の不法利益の取得の場合は財産上の損害の発生を必要としているが第一項の財物騙取の場合は之を消極に解しているのが通例である(大正十一年三月二十二日、昭和十一年五月四日大審院判決等)斯様に一項詐欺と二項詐欺とにつき自ら異るものがあるのは一項詐欺については個々の財物の取得行為が犯罪行為の侵害対象となるものは全体としての財産ではなくその個々の組成分子であり従つて個々の財物の所持が所持そのものとして保護の対象となり二項詐欺の場合に於てはそれが逆に解せられるからである。故に詐欺罪の成立には苟も欺罔手段を講じこれにより相手を錯誤に陥れ財物を交付せしめたことが必要にして充分な要件であつて、即ち被告人が事実を告知した場合相手方が財物を交付しないような状態に於て真実に反する事実を告知し相手方を錯誤に陥れ因て財物を交付させた以上財物に対する所持は侵害され法的に非難すべき違法状態を発生せしめたものであるからその結果として私法的に財産上の損害を発生せしめたかどりか問うまでもなく詐欺罪は直に成立する。と解すべきものであると思料する。2、従つて不法原因による給付の場合であつても詐欺罪の成立につき財産の損害の発生は必要でないと思料する。不法原因に基く財物交付の場合に於ては被害者の財産上の損害が民事上保護の対象とならないので被害者が民事上の救済を得られないところではあるが、この民事上の保護を与えられないと云うことを以つて刑事上の責任がないと直に結論付けることは出来ない。法律が不法な原因のために給付したものの返還請求を禁止した理由は、これを認めることは自ら不正行為をした者がその不正を理由として法の保護を受けようとするのを是認する結果となり法律の目的に反するからである。然るに公序良俗に反し法律上無効な法律行為であつてもこれを欺罔の手段として相手方を欺罔し財物を交付せしめた場合は不法手段による財産権の侵害であつて社会秩序を紊す犯罪行為であるから右受交付者は詐欺罪の罪責を免れることは出来ない、即ち前者は民事上の不当利得返還請求権の問題であるが後者は不法手段による財産権侵害行為即ち社会の秩序を紊す犯罪行為であつて両者は全く別個の問題であり、他人を欺罔して財物を騙取したときは直ちに詐欺罪が成立し、その被害者が後日その返還請求をなし得るや否従つて結局財産上の損害が発生したか否かは何等右犯罪の成立に影響は及ぼすものではないと解すべきである。故に例えば紙幣偽造の資金に名を藉り金を騙取した場合闇米の購入を斡旋してやると偽つて金を騙取した場合と同様本件の如き売淫行為を前提とする前借金を騙取した場合も社会秩序を紊すべき欺罔的手段が行われたものであるが故に詐欺罪の成立が認められるべきものである。即ちそれは前述の如く民事上の契約が無効で民事上の保護が与えられないと云うことと刑事上の責任の有無とは別個のことであり詐欺罪の如く他人の財産権の侵害を本質とする犯罪が処罰されるのは単に被害者の財産権の保護のみにあるのではなく違法な手段による行為は社会の秩序を紊す危険があるからである従つて原判決の如く不法原因による給付を理由として犯罪の成立を否定したのは法令の解釈を誤つたものと謂うべきである。3、原判決は他人を欺罔して財物を交付させた場合でもその財物の交付を受けるにつき正当な権利を有した場合には詐欺罪が成立しないというのは結局被欺罔者に損害がないからと解せられ本件もそれと同趣旨と解されるとしておるが右の場合は被欺罔者に損害がないから詐欺罪が成立しないと解すべきではなく欺罔者に於て請求の根底に当然請求し得べき正当な権利を有しその程度には保護の利益を受くべく一方被欺罔者に於ても同様右請求に応ずべき義務を有すべきものであつてその程度に於て当然不利益を受け法律の保護を受け得られないものであつて当事者に対する法の非難不利益を彼比考究した場合その違法性は法の非難の対象となすに価し得ない程度の軽微にしてこれを放任するも差支えないと解し得られるが為である、然るに本件はこれと異り欺罔者に於てこの恨底に於て請求し得べき正当なる権限を有するものにあらず却つて法の保護しない無効契約を理由として請求したものであるが故にその本質を異にし適当なる設例となすを得ない従つて右設例を一理由として本件を同一に解すべきとなすは妥当ではない。

第二、原判決は証拠に基かず事実を認定し延いて法令の解釈を誤つた違法がある。原判決は前借金の支払は所謂不法原因給付であつて右契約の違法無効であることは既に公知の事であり且出捐者梅本がこの事を知らなかつたと見るべき事情はないから梅本の損害は同人が自ら招いた不法原因乃至非債弁済によるものであり自らこれを負担すべく被告人側に転稼できないものであり、法律上の見地からは同人には何等の損害が無かつたことに帰すると説示しておるが右は証拠に基かずして事実を誤り認定しそれを基本として法令の解釈を誤つた違法がある。即ち、1、「前借金契約の違法無効であることは既に公知の事実である」としておるが前借金契約の有効無効については従来民事、刑事を問わず判例学説に於て論争が行われて違法無効なることが公知の事実とは未だなつていなかつたところであり最高裁判所に於て無効の言渡をしたのは昭和三十年十月七日の第二小法廷に於ける民事判決が最初である従つて右判決は売春行為禁止の風潮にのり初めて新聞紙上に大きく採り上げられるに至つたものであるから本件犯行の為された昭和三十年五月下旬当時に於ては未だ前示最高裁判所の判決の為される以前であるから既にこれが公知の事実であつたとはもとより云い得ないところであり、2、更に「梅本に於てこの事を知らなかつたと見るべき事情はない」として居るが原判決援用の証拠並記録全般を通じても同人が前借金契約を違法無効なものと確知していたこと又はこれを知つて居たと推認し得べき証拠は何等認め得られない、この点につき法律実務家の間に於てすら未だ公知の事実となし得ない事実であるのに拘らず非法律家たる一市民に於てこれを知り得たものと推定するのは誤りとなすべきものと思料する。従つて原判決が公知の事実であつたと云い或いは知らなかつたと見るべき事情はないとしたのはいづれも証拠に基かずして事実を認定した違法なものであると言うべく従つて原判決がこれを基本として梅本の損害は結局に於て同人が自ら招いたもので同人が自ら負担すべく相手方に帰せしめることは出来ないとしたのは証拠に基かず虚無の証拠により事実を推論しその誤つた事実を基本としたため法令の解釈を誤るに至つたものであると謂うべきである。

第三、本件行為は違法性を具備し可罰すべき行為と思料する。本件欺罔行為の違法性に就いては原判決の何等触れる所ではないが所謂前借金詐欺の違法性に就いて考察するに所謂勅令九号が施行されて居り又売春禁止法も成立し特に前掲最高裁判所の前借金全部無効の判決のあつた現在に於ても前借金詐欺の違法性の評価に何等消長を来すべき理由は存しない。違法性評価の基準は行為が公の秩序善良の風俗に反するや否やに置かれることは当然であり更にその基準が時代の変還と共に流動変化するのも当然であつてそれでこそ生きた法の運用が期待され、社会秩序の維持が全うせられる所以のものである。原判決は多分に右最高裁判所の前借金全部無効判決に捉われた嫌いがあるが斯る原判決の論法を以てすれば詐歎、賭博、その他の不法原因給付を内容とする詐欺行為は総べて刑法の適用を受けない結果となり法の意図する社会秩序の維持は期して持つべくもない。されば現在におかれて居る社会秩序を紊す行為である以上、国家は之に対し毅然として刑罰権を行使しなければならないのであつて前借金詐欺のみを違法性なしとして処罰の対象外におき放任行為とする謂れは何等存しないと謂わねばならない。

仍つて以上の理由により原判決は法令の解釈を誤つた違法ありと謂うべくこれを破棄し更に相当の裁判を求めるため控訴を申立てた次第である。

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